先輩から言われて絶句したシリーズ第二弾です。
「写真は真を写す物。」と言う意見に対する私なりの回答になっています。(^^ゞ
「撮って出しが写真。Lightroomでイジるのは邪道」と言う意見に反論
ある先輩が言っていました。
「俺RAWで撮ってはいるけどイジらない。基本撮って出し。Lr?使えば色々できるんだろうけど・・・そんなの邪道だろ!!」
もちろん言葉の真意は
- 撮影する時に適切な露出で撮影するべき。後から調整できると考えてテキトーに撮るのは手抜き
- 撮影する時は適切な光源の元で撮影するべき
と言う事で正しい事と思います。
しかしです。
- RAWで撮って基本撮って出し
- Lr(=PhotoshopLightroomの事です)は邪道
これには私は反対意見なのです。
RAWで撮って基本撮って出し
画像処理エンジンって知ってます?
CanonならDIGICなんちゃら。
NikonならEXPEEDなんちゃら。
SONYならBIONZなんんちゃら。
これらが何の為に存在しているか知っていますか?
もちろん基本のお仕事は画像センサからデータを読み出してRAW形式にフォーマットしてメモリに書き出す事です。
しかしです。
それだけがお仕事なら各社現在でも開発に凌ぎを削り、どんどん新型を世に送り出している事の説明が付きません。
なぜ高性能高演算力の画像処理エンジンが必要なのか?
それはより高画質なjpeg画像を生成する為です。
jpeg撮って出しの写真とは「RAWファイルを元にメーカが独自のアルゴリズムでアレンジした画像」なのです。
RAWファイルはjpegファイルを出力する為のメタデータに過ぎません。
RAWで撮影して撮って出しすると言う事は「メタデータを加工しないで世に送り出す」と言う事なのです。
これって手抜き以外の何者でも無いですよね?
もちろん「写真は真を写す物。加工はしないのが正しい。」と言う考え方の元に行っているのでしょう。
しかしカメラメーカがより良いjpegファイルを生成する為に画像処理エンジンや加工アルゴリズムの開発に巨額の投資を行い、新型のカメラを次々と世に送り出している現在。
- RAW撮って出し
- jpeg撮って出し
どちらが真を写しているのでしょう?
個人的にはそのどちらでもなく「真を写し出す事は不可能」と考えています。
バイヤー配列型画像センサ(日本ではベイヤー配列型と呼ばれていますが、本ブログでは開発者の故ブライス・バイヤー氏のご子息からのご指摘によりバイヤー配列型と呼称しています)は色補完と呼ばれるアルゴリズムを使って画素の色を推測で決定する画像センサです。
これを用いている限り撮れるのは限りなく真に近い絵です。真を写し出しているとは言えません。
ならばFoveonならば真を写せるのか?
私は少なくとも現状のFoveonは真を写し出していないと考えています。
- テレセントリック性の問題から特に周辺部がマゼンタに落ちる。SIGMAPhotoProはRAWファイルの表示時にマゼンタ落ちの修正を行っていると推測される(Foveonの特許を調べるとその構造が興味深いです。)
- その構造から赤が飽和し易い。(これはQuattroで改良されたようです。Quattroの改良点も興味深いです。)
ではフィルムカメラならば真を写せる?
- フィルムにも「デイライトフィルム」「タングステンフィルム」等あり、ホワイトバランスを正確に合わせる事はできない。
- フィルムは現像の際に現像師の方がラティチュードの範囲で露出等を調整してくれている。(有名なアンリ・カルティエ・ブレッソンは現像をお抱えの現像師に任せていたそうです。)
写真とは真を写し出す物なのか?
真を写し出すとは?
禅問答の世界であり、フォトグラファーが追い求めなければならない永遠のテーマだと思います。
Lr(=PhotoshopLightroomの事です)は邪道
これも上の問題と関連しています。
jpeg撮って出しの写真は画像処理エンジンがメーカ独自のアルゴリズムに従って加工した画像であり、誰が撮っても同じアルゴリズムが適用されます。
そこに真は無く個性もありません。
少なくともフォトグラファーを自称する者ならば、自らのテーマに従って個性を織り込んだ作品の創出を追求するべきと考えます。
その為にはRAWで撮影してメタデータを自分で加工する事は必須の作業だと私個人的には考えています。
例えば500px。
ここは最高の写真を目指して世界中の猛者が凌ぎを削る世界です。
RAW現像は当たり前。HDRでもなんでも利用できる物は利用して最高の作品を追求する。
これが当たり前の世界です。
私の考え方には500pxで修行した事が影響しているのでしょう。
「撮って出しの方が手抜き。RAWで撮影し自らのイメージを追求する努力をするのが当たり前。」と思っています。
もちろん上で書いたように最終的には「真を写し出すとは?」と言う禅問答の世界です。
絶対解は無いと思います。
フォトグラファーを自称する者全員が追い求めなければならない永遠のテーマだと思います。
しかし「邪道」の一言で否定して思考停止するのは問題外と思います。
広告